東京高等裁判所 平成10年(う)1119号 判決 1998年10月12日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中八〇日を原判決の刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人菅野智巳作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官亀井冨士雄作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。
第一 訴訟手続の法令違反の主張について
論旨は、要するに、原審において、検察官は、判決宣告期日になって突然弁論の再開を請求し、原審裁判所が右請求を容れて弁論を再開したところ、論告だけをやり直して、従前懲役一年としていた求刑意見を改め懲役二年との求刑意見を述べたが、証拠関係に全く変更がないのに、判決宣告期日になって突然従前と全く異なる論告をするのは、弁護人及び被告人に対する不意打ちになるという意味でも、また、論告がこれまでに形成された証拠関係を前提にした検察官の評価・意見であって変更や撤回が考えられないものであるという意味でも、不当であり、そのような論告のやり直しのみを目的として弁論の再開をすることは許されないから、原審の訴訟手続には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反がある、というのである。
そこで、検討するのに、原審記録によると、原審では、平成一〇年五月一五日の第一回公判期日に証拠調べが終了し、検察官が論告を行って懲役一年を求刑し、弁護人が事実関係を争わず寛大な判決を求める旨の弁論を行うなどして結審し、次回判決宣告期日として同月二七日を指定したこと、ところが、当該期日になって検察官が論告の補充をしたいとの理由で弁論の再開を請求し、原審裁判所は右の請求を容れて弁論を再開したこと、そして、同期日に、検察官は特に証拠請求等はせず論告だけを補充訂正して懲役二年を求刑し、これに対して弁護人が意見は従前どおりであると述べるなどして再び結審し、原審裁判所は、その後直ちに、被告人を懲役一年四月という従前の求刑よりも重い刑に処した原判決を言い渡したことが認められる。
ところで、論告・求刑は、検察官が、証拠調べ終了後、公益の代表者として、それまでに形成された証拠関係等をもとに、事実及び法律の適用について意見を述べるもので、いわば訴追側の訴訟行為の集大成というべきものであり、弁護人や被告人の弁論等も主としてこれに対する反論という形でなされるものであるから、その重要性はあらためていうまでもなく、証拠関係等に何の変化もないのに軽々にこれを変更するのが相当でないことは所論指摘のとおりである。しかし、論告・求刑は、以上の如く検察官が公益の代表者としてなす重要なものであるから、それが明らかに誤っている場合にも、証拠関係に変化がない限り、これを補正することが許されないと解するのは相当でなく、そのようなときは、検察官としては、むしろこれを補正して適正なものにする義務があるというべきである。そして、その結果、論告・求刑が従前のものに比べて被告人に不利なものになることがあったとしても、それは誤ってなされた論告・求刑が是正されたことによるものであって、被告人に不当な不利益を課すものではないから、蓋しやむを得ないものというべきである。
これを本件についてみると、前述の検察官の当初の求刑意見が、近時の同種事犯に対する科刑状況等に照らし、著しく軽きにすぎるものであったことは明らかである。したがって、本件の場合、検察官がそれを補正しようとして弁論の再開請求をしたのは当然であり、原審裁判所が右請求を容れて弁論を再開したことにも何ら違法な点はない。また、原審の弁護人や被告人は、検察官の論告・求刑変更後、当該期日において直ちに異議なく弁論等に応じているのであり、右の論告・求刑の変更が弁護人や被告人に不当な不意打ちを与えたとも認められない。そうすると、検察官が、当初誤った論告・求刑をしたため、被告人にあらぬ期待を抱かせたであろうことは、論告・求刑の重要性にかんがみ甚だ遺憾というほかないが、原審の訴訟手続自体には、所論指摘のような法令違反はないというべきである。論旨は理由がない。
第二 量刑不当の主張について
論旨は、要するに、被告人を懲役一年四月に処した原判決の量刑は重すぎて不当である、というのである。
そこで、原審記録及び当審における事実取調べの結果を合わせて検討するのに、本件は、覚せい剤の自己使用とディスカウントショップにおける携帯電話用カー電源充電器等商品六点(販売価格合計一万六〇二八円)の万引き窃盗の事案である。
まず、覚せい剤使用の点についてみると、このような犯行が強い社会的非難に値することはいうまでもないところ、被告人は、平成九年九月に覚せい剤の使用と所持の罪により懲役一年六月、三年間執行猶予の刑に処せられたのに、右裁判の約一か月後からその使用を再開して本件に至ったというのであり、覚せい剤に対する依存性、常習性が顕著である。次に窃盗の点についてみると、被告人は、当初は商品を正規に購入するつもりだったけれども、財布を忘れてきたことに気づき、つい万引きしてしまったというのであるが、仮にそうだとしても、極めて安直な犯行だといわざるを得ず、動機に同情の余地はない。被告人は、前記の裁判ののち、土木作業員として働いていた時期もあったが長続きせず、やがて無為徒食の生活を送るようになり、右の執行猶予期間中に本件各犯行を犯したのであって、規範意識、更生の意思が乏しすぎるとされてもやむを得ない。右のような諸事情に照らすと、被告人の責任を軽視することはできず、反面、窃盗の点は、万引き事犯で、被害額は比較的少なく、被告人が犯行後直ちに逮捕されたため被害品はすべて被害者に回復されたこと、被告人が二三歳と比較的若年で、今では本件を反省し、刑務所内で資格を取って頑張りたいと更生の意欲を示していること、本件が確定すると前刑の執行猶予が取り消されて両刑を合わせて服役することが見込まれること、被告人の父親の健康状態が優れず、被告人の援助が期待される家庭状況にあること、被告人の母親が被告人のことを気遣っていることなど被告人のために酌むことができる事情を十分考慮しても、被告人を懲役一年四月に処した原判決の量刑は、まことにやむを得ないものであって、これが重すぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条を適用して当審における未決勾留日数中八〇日を原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。
検察官 亀井冨士雄 公判出席
(裁判長裁判官 島田仁郎 裁判官 下山保男 裁判官 福崎伸一郎)